気持ちと行動は別

あのねー、仕事をめんどくさいっていう人は嫌い。正確には、論文読んだり書いたりとか、事務仕事をめんどくさいっていうのは良いんだけど、
患者さんが絡む診療や麻酔についてめんどくさいっていう人は嫌い。

上記はある医師の方がおっしゃっていたこと。
やらなきゃならないことにいちいちケチを付ける人を許せないタイプで真面目すぎる人なのでしょう。







■気持ちは認め、行動は現実的に行えば良い





気持ちを吐き出して現実に即した行動をすれば言い。


たとえばテスト。
テストを受けるのは学生の使命だとしても「いちいち勉強するのって面倒だよね」と愚痴りながらもしっかりテスト勉強すればそれで問題ないのだ。


たとえば子育て。
子どもを育てていれば「殺したくなっちゃった」という場面だってあるだろう。
もちろん、子どもを殺すなんてことは絶対に許されない行為だ。
しかし、言葉喋られぬ暴れる生物とずっと一緒にいれば、そういう感情が湧き出てくることは仕方のないことだ。


そこで、「気持ちと行動は別」という考え方が心を楽にしてくれる。





自分の沸きあがる気持ちを認めてしまうこと。
社会的に許されないことであったとしても湧いてくるものは不可避だしそれを押さえ込むことやがては病んで行く。




「弱音を言うのは弱い証拠だ」
「現実は厳しいんだから甘いことを言っていたら生きていけない」



という自分に厳しい人でなければこのブログにはたどり着かないでしょう。


しかし、現実には厳しい現実に立ち向かう行動をとったとしても「面倒」「だるい」「殺したい」などという気持ちを持っている自分をしっかりと吐き出して、
軽くなった分、現実に向けて行動の足取りも軽くなるってものです。


行動はまじめに真剣におこなっていけばいい。
ただし、湧き上がる気持ちをシャットアウトしようとすると苦しくなりますから、「弱い気持ちを持つ自分」のことをしっかり許してあげたうえで、
「弱さを行動には伴わせない強い自分」を目指して行動をしていければ、それが最高なんじゃないかなと思います。



「やるべきことをウダウダ要っている人を見るとむかつく」なんていうのは、結局自分自身に弱い部分があることを認めようとしない人の心持であって、
そうやって自分の弱さに気づかないフリをして抑え付けていると、精神的ダメージは蓄積していきますよ?