(仮)癒されないトラウマPTSDは、次のトラウマPTSDを受けやすくなる





虐待→トラウマPTSD→いじめ→トラウマPTSD→(デート)DV→トラウマPTSD→社会活動・対人関係が著しく損なわれる



こんな感じの流れにトラウマPTSDがどれくらい隠れていて、それらがパーソナリティの問題とかうつ病とか適応障害とかっていう場所に分類されることの悲劇性を具体例を用いて方っていきたいと思う。




















◇「人間としての欠陥」だと思っていたものは「トラウマPTSDの症状」かもしれない





「生まれたときから劣等感を感じている」

人として軸がぶれている

「社会性がない」

「自分が何かを言って波風を立てるくらいなら、我慢したほうがずっとましだ」

「自分を好きになれない」

「自分が価値のある人間だとは思えない」

「他の人は苦しいことにもしっかりと耐えているのに、自分は弱い人間だと思う」

「自分の人生がうまくいかないのは、自分が今までちゃんと生きてこなかったからだ」

「他人の視線が怖い」

「他人とコミュニケーションをとることが怖い」

「セックスをしたくない」

「異性が怖い」

「人生は苦しい試練の連続であり、それを楽しめるとはとても思えない」

「これから先の人生に希望があるとは思えない」







このような感じ方や考え方によって社会活動が著しく制限されてしまっている場合、そこにはトラウマ体験によるPTSDが隠れているかもしれない。






ーー症例①


A子(21歳)は「適応障害」と診断をされ18歳から2年間、通院をしていたが現在は通院をやめてしまった。
彼女は「人生の軸が他人とずれすぎている」と感じている。
対人恐怖レベルの人見知りをするが弟や同棲中の彼氏とは日常会話に困ることはないらしい。

よくよく話を聞いてみると、彼女は幼い頃、虐待を受けて育っていた。
幼い頃から「軸のずれ」と「強烈な劣等感」を感じており、「毎日死にたい」とも思って生きてきたそうだ。

同棲中の彼氏は「たまにおかしくなる」ことがあるそうで、
「強引にセックスをしようとして、A子が嫌だと思っていても構わず」に行為に及ぶそうである。

彼女は「したくないと思っても彼には言えない」とのことだった。

ストーカー被害にもあって夢の一人暮らしは半年で幕を下ろした。







ーー症例②

B子(27歳)は、デートDVによるトラウマがあった。
摂食障害の治療を受けたときは、すでにトラウマ体験から数年が経過しており、PTSDと診断できるほど著しい再体験症状は残っていなかった。

しかし、強い回避症状と中等度の覚醒亢進症状が残っていた。

B子は、他人に対して心を開けない自分を「社会性がない」と思っており、そんな自分は社会人失格だと思っていた。

しかし、摂食障害の治療の中で、トラウマ体験を「ぽろりとこぼした」ことをきっかけに「社会性のなさ」だと思っていたものが、トラウマによる回避症状だということを知り、
治療の中で少しずつ改善していけるものだという事を知って、大きく安心した。





ーー症例③

C子(24歳)は対人恐怖と男性(人間)不信の症状を持っていて昼間に外出することが困難だった。
4ヶ月前に4年間働いたドラッグストアを退社し他の働き口でアルバイトをしようとしたが長く続かなくなった。

C子は中学時代にイジメに遭った経験があった。
勇気を出して母親に打ち明けたところ、母親が学校と掛け合い、イジメはいつの間にかおさまっていた。

高校時代は通信制に通っていたので週一回の登校だったこともありイジメらしきものは経験しなかった。


最高の彼氏でDVをされた覚えは無いというが明らかな暴力はないものの、
「お前みたいな女、俺しか付き合わないんだからありがたいと思えよ」「レイプとまではいかないけれども無理やりセックスさせらた」などのデートDVと思えるようなことをしばしば受けていた。

泣きながらフェラをしていたという。

この彼氏と付き合って

過食になったのは彼氏のストレスの拒食症の反動。
過食で太ってから外に出るのが怖くなった。
つまりそれまでは他人が怖いと言うことは多少あったにしろアルバイトという社会生活をきちんと遅れていた。


いじめからのデートDVによってさらに増した
対人恐怖について私は「回避性パーソナリティ障害だと思う」と言っていた。
この回避性についてはパーソナリティ障害ではなくTSDの症状として診ていく必要があるだろう。




ーー症例④

D子(21歳)は看護過程の短期大学に通っている。
幼い頃に両親を亡くしずっと祖父母に育てられてきた。

兄が精神病に掛かっているらしく祖父母達に「私達には○○ちゃんしかいないだからね、しっかりしてね」などと言われてきて、そのことをものすごくプレッシャーに感じていたという。
小学生の時に「今思えばあれはイジメだった」といういじめに遭ったが祖父母にとっていい子であるために祖父母達に愚痴や弱音など吐いたこと。
ましてや「いい子」のはずのD子が「いじめに遭っている」などと知ったら祖父母達がパニックになることは小学生の彼女でも理解できた。

D子は中学生の時から自傷行為がはじまり現在も続いている。











トラウマ、PTSD

強引なセックス

自己肯定感が低い
自分に自信が無い断るに値しない人間、相手のペースに引き込まれる自分のペースを守る価値がない。

境界線問題。


確かに人間同士なんだから片方がセックスしたくて片方がしたくないときもある。
そしてしたいほうに押されてしてしまう場合もあるだろう。
問題なのは「私はしたくない」と言えないこと、あるいは「したくないことはしたくないと言う意思を表明することが出来る」という事を知らないということ。

そして、断ったときに相手が怒るのは「自分がわがままなのではなく相手が自分を一人の人間として尊重してくれていないこと」ということ気づけて居ない場合がある。
これはいわゆる自己肯定感の低さと境界線問題を抱えている人の典型的のパターンだといえる。


トラウマ体験によるPTSDとして診ることの意義は計り知れない。
もしもパーソナリティ障害などと言われてしまうと本人の「性格」や「意思」の問題であって改善が不可能であるかのように思わせてしまう危険性がある。
しかし、









○PTSDの症状



・再体験症状ーートラウマ体験が再体験され続ける

1.できごとが繰り返し、意図しないときに苦痛を伴って想起される
2.できごとについての苦痛な夢の繰り返し
3.トラウマ的なできごとが再び起こっているかのようにこうどうしたり、かんじたりする
4.トラウマ的な出来事の何らかの側面を象徴していたり類似していたりするきっかけによって起こる強い心理的苦痛
5.トラウマ的なできごとの何らかの側面を象徴していたり類似していたりするきっかけによって起こる
  身体の反応



「再体験症状」はトラウマ体験に特有のもので 
他のタイプの病気には見られないものです。

この症状の苦痛は
それ自体の激しさもありますが
それが「望んでいないときに勝手に現れてくる」という侵入性も
本当に怖いものです。

自分が意図していないときに
突然、トラウマ体験の現場に引き戻される、という体験になってしまうのです。
トラウマ体験を思い出すという形でなくても
においなどの感覚だけで再現されたり
身体の反応だけが再現されたり、ということもあります。

特に強烈なのは
「解離性フラッシュバック」と呼ばれる症状です。

これはただ「思い出す」というレベルを超えて
今まさに体験している、という状態になります。

現実に今居るところからは意識が離れてしまい、
周りから話しかけても反応せずに過去のトラウマを再体験して恐怖に圧倒されている、
ということもあります。



・回避・麻痺症状ーートラウマと関連した刺激の持続的回避と反応性の麻痺


1.トラウマと関連した思考、感情、または会話を回避しようと努力している
2.トラウマを想起させる活動、場所、または人物を避けようと努力している
3.トラウマの重要な側面を思い出すことができない。
4.重要な活動への関心または参加の著しい減退
5.他人から孤立している、または疎遠になっているという感覚
6.感情の範囲の縮小(例、愛の感情を持つことができない)
7.未来が短縮した感覚(例、仕事・結婚・子ども・または正常な寿命を期待しない)


「回避・麻痺症状」の問題は、
それ自体の苦痛よりも
生活が大きく制限されることにあります。

苦痛を引き起こしそうな場面を冴えるわけですから
直後の苦痛は避けられるのですが
結果として活動の幅が狭くなります。

また、感情の幅も狭まってしまい、
人間らしさや、活き活きとした生活がうしなわれてしまいます。
全体に「ぼうっとしている」という感じになる人も
多いものです。

活動の幅が狭くなる結果
仕事などの重要な活動ができなくなる人もいますし
仕事は何とか続けられても
趣味など楽しみのための活動は回避されるということも多いです。

感情の幅が狭くなる結果として
自らのトラウマについても感情を込めずに
淡々と語るようになる人も居ますので、l
一見、それが及ぼしている影響の大きさが分かり難いこともあります。

また、トラウマ体験そのものをよく覚えていない人も居ます。

覚えていなければ問題がないというわけではなく
「覚えていないこと」そのものが、れっきとしたトラウマ症状の一つであり
その人がトラウマの影響下にあることを示す証拠です。

「未来が短縮する感覚」というのは
PTSDに特有の症状で
自殺したいと言う気持ちとは別の「自分が長く生きることはとても想像できない」という
予感のようなものです。

たとえば、「自分は40歳までには絶対に死ぬと思う」と確信として
語られることもあります。

なお「回避・麻痺症状」と次の述べる「覚醒亢進症状」は
いずれもトラウマ以前には存在していなかったものを言います。

トラウマ以前から回避傾向があった場合には
うつ病社会不安障害など、他の病気を考える必要があります。



・覚醒亢進症状


1.不眠(寝つきが悪い、眠りが浅い)
2.苛立たしさ、または怒りの爆発
3.集中困難
4.過度の警戒心
5.過剰な驚愕反応


覚醒亢進症状は
常にピリピリしているような状態の事ですが
眠れないほど身体がピリピリしているだけでなく
他人に対してもピリピリしているので
ちょっとしたことにイライラしたり怒ったりしてしまいます。
たいした刺激でなくても、ものすごく驚く、などということも起こります。





複雑性PTSD

長期に及ぶ虐待的環境で生じる病態を指す。


・感情のコントロール障害


怒りを感じることを恐れたり
怒りを適切に表現することが難しかったり
という人もいます。

怒りを恐れる結果、人と親しくなったり自分の気持ちを打ち明けたりすることを避けてしまう人も少なくありません。

また、感じた怒りを適切に表現できず、自分の中に抱え込んでしまう人も居る。
そのことが、自傷行為や過食などに繋がる場合もある。



自分の感情が強すぎてコントロールできないと感じると
「自分への信頼感」を失います。

また、人間は気持ちを共有していくことで
他人とのつながりを作っていくものです。
変化の中で起こる気持ちを単に打ち明けていくことは
身近な人に支えてもらえるようになるという点からも
とても重要な意義があります。
しかし、その感情がただ強く相手にぶつけられると
相手との関係が悪化しますし
そうなることが怖くて対人関係を避けてしまうと孤立に繋がる





・自己破壊的衝動的行動

明らかに自分を損なわせる行動。
自傷行為は解離を起こすためにきっかけ作りとして。
たとえばリストカットをすることは
「痛みを感じたいから」ではなく「ぼうっとして心の痛みを忘れたいから」という理由であることのほうが
圧倒的な苦しい感情から束の間逃れるための試みであるといえます。





・身体愁訴

様々なかたちで
身体の不調を感じる人も少なくない。

無力感、絶望、希望、
永久に傷を受けたという感じ
それまで持ち続けていた信念の喪失
敵意、社会的ひきこもり、常に強迫されているという感じ
対人関係の障害、




@再体験症状
(暴力シーンの繰り返しの想起、男性が近くを通るだけで身体震える恐怖を感じる、
 上司からの注意で身体が固まる、悪夢)、そして

@回避・麻痺症状
(できごとを正確に覚えていない、女友達と食事に行くことも亡くなった
 ファッションへの関心もなくなった、将来の話が自分に関係ないと思う)
 
@覚醒亢進症状
(寝つきの悪さ、集中力の低下、大きな音に極端にビクットする、イライラ)が
明らかに見られました。

それ以外にも、家庭内の緊張が高かったり、親の不安が強すぎて甘えたり頼ったりすることができなかった、など言う場合にも
やはり人を信頼して関係を作る能力は育ちにくくなります。

また、身近な人たちが不規則で予測できない動きをする場合にも
「対人関係のルール」が分からなくなってしまい、
安心できる対人関係が築けない、ということになってしまいます。

たとえば、あるときには褒められたことで別の時には叱られるとか
何かが急に決められてその理由が全く分からない、というような環境が
それにあたります。
そういった環境でも「なぜ」と聴く事ができて
きちんと応えてもらえる場合には問題は少ないのですが
「なぜ」と訊くためにもある程度の安心感が必要ですので
実際には難しいことが多いのです。


なお、トラウマ患者さんの中には
「もっとひどい体験をしているけれども病気になっていない人もいるのに
 自分は人間として弱いのではないか」と思ったり
「自分はたいした体験をしていないのだから、これはトラウマとは呼ばないのではないでしょうか」と思ったりする人が
少なくありません。

しかし、ここで見てきたように
トラウマ体験の影響を決めるのは
できごとそのものの衝撃度ではなく
それを受け取る側の因子(もともと対人関係の中で安定しているか)そして
トラウマ体験後の経過(トラウマ体験をひとりで抱えなければならなかったか)が
大きな影響を与えることになります。










自然回復の多くは最初の一年以内に起こり、そして、一年を超えて持続しているPTSDは
治療をしないで症状が改善する見込みが少ない、ということが示されている。

怪我であれば、時間がたてば癒えるはずである。
自然回復が最初の一年以内に集中しているということは
それを反映するものだろう。

ところが、それ以上持続して治療対象となるようなPTSDでは
「時間がたてば傷口がいえる」というような状態ではなく
「傷口がうんでしまい、さらに複雑な状態になっている」という印象を受ける。

つまり、きっかけは確かに外傷であり、PTSD症状は外傷を受けたときの反応としては極めて正常なものと言ってよいのだが
それが癒えることなく維持されているという構造の部分が「病気としてのPTSD」だということだ。

これは、一種の悪循環の構造であって、治療的な働きかけをしなければ
悪循環に陥り続けて回復のプロセスを阻害することになる。







その治療者の言い分は
それ自体が大変不適切であるが
G子の文脈においてはさらにトラウマ的な意味を持つことが分かった。

G子の生育歴をよくよくきいていくと、
G子が「普通の両親」と読んだ人達は決して普通ではなかった。

父親は、「子どもは甘やかすとつけあがる」が口癖で、G子と殆ど情緒的交流を持たず
G子をほめることもなかった。
高校受験時にG子がかなり努力して志望校に合格したときも
「こんな学校は合格して当たり前だ」と言い放っただけだ。


母親は過干渉なタイプで
G子の言動の一つ一つに文句を言っていた。

「あなたは努力が足りない」が口癖で、
何を言っても「それはあなたの努力が足りないからよ」という答えしか
返ってこなかった。

このような両親に育てられたことを知ってみれば、
G子が保護者や同僚に厳しい目を向けていたことも理解できる。
つまり、G子自身がそういう厳しい価値観で育てられていたのだ。

明らかな被虐待体験というものはなかったかもしれないが
小さなG子がほめてもらいたいと思う気持ちが
一つひとつ挫かれてきたのだと思う。

そんな体験が積み重ねられた結果、他人の「努力の足りなさ」に対して
狭量になってしまったのも当然だろう。

そして、その狭量さはもちろんG子自身にも向けられており、
G子は自分が職場ストレスでうつ病になってしまったという事実に混乱していた。

両親に話せば「努力が足りない」と言われるに違いないことであり、
自分でもそう思っていた。

G子は実は、うつ病になったことを両親に隠しており、
仕事をやめたことをどう説明したら良いのか悩んでいた。

治療の中では「医学モデル」を適用することで、不要な罪悪感を減じ、
両親の理解を求めていく必要があるのだが、
実際の治療者がやったことは、その正反対の事だった。

「この程度のことで」と、うつ病になったG子が悪いかのような言い方をしたことは
G子に突き刺さり、トラウマ体験となってしまった。

職場ストレスでうつ病になったという「役割の変化」で遭難しているような状態の時に、
さらに足下の地面が割れて、はるか下にたたき落とされてしまったのだ。

保育園に行こうとすると出てくるトラウマ症状は
もともと保育園で起こったトラブルに起因するものではなく
治療者の発言に起因するものだったのだ。


その治療者の発言はあまりにも不適切であり、もしも前医にG子がそれを打ち明けていたら
即座に否定してもらえただろう。
しかしG子は、打ち明けないことで、そのチャンスを逃していた。

G子が自分からその話をできなかったのは、他の医師も
その意見に同意して、また自分が傷つくことになるのが恐かったからだ。

そんなふうに、治療によるトラウマは、その後の治療の可能性すら奪っていく。
「他の治療者にも傷つけられるのではないか」と思うと、
そのトラウマ体験を話すこともできなくなってしまうからだ。










ーー症例⑤



「難知性うつ病」として紹介されてきた20代前半のE子は高校中退後、自室にひきこもるように暮らしていた。

母親によれば、抑うつ的なところが目につき始めたのは高校生になってからとのこと。

E子は中学時代にはいわゆる「非行少女」であり、その頃は抑うつ的というよりも
反抗的だったそうだ。

悪い友だちとつるみ、万引きで警察に補導されたこともあるし、親の財布から金を持ち出して
叱られたこともあった。

高校受験には何とかひっかかり、高校には進学したが
1年の一学期の成績が悪く、それ以来不登校になってしまった。

最終的に高2で進学できず、
そのまま中退した。

親は家庭教師をつけたりして何とか復学させようとしたが
復学の話を持ち出すとE子が暴れるため、だんだん腫れ物に触れるようになってしまった。

高校を中退した時点で、親はE子に治療を受けさせようと決意し、
E子を心療内科に連れて行った。
不眠、抑うつ気分、罪悪感が見られ、
うつ病」という診断だった。

成績が悪かったことが挫折体験となって発症したのではないか、
という見立てだった。

抗うつ薬が投与され、E子はその心療内科にしばらく通ったが
睡眠が若干改善したように思われたくらいで抑うつ的な気分は変わらなかった。

ひきこもり傾向は続き、親が「何とかしないさ」と言うと
叫んで暴れる、ということが繰り返された。
生活はすっかり昼夜逆転してしまっていた。

治療効果がみれないため、何軒か医療機関を変えた。
そして、最終的に紹介されてきたときの診断は「難知性うつ病」だった。







E子の文脈は、当初からわからないことだらけだった。
まず、中学校時代の非行はどういうエピソードだったのか。

すでに何らかの精神科的障害が発症していたのか、
そして、なぜ非行がおわったのか。
高1のときの成績の悪さは、何を反映したものだったのか。

不登校になったのはなぜだったのか。
本当に成績の悪さという「挫折」によるものだったのか。

成績の悪さは、当時のE子にとってそれほど大きな意味を持つことだったのだろうか。


また、現在のE子の状況にもよくわからないところがあった。
そもそもE子はなぜ引きこもっているのか。
なぜ社会参加しようとしないのか。

また、E子の毎日の状況を聴いてみると、
そこにも違和感があった。
E子は夜、居間に下りていってたまたま父親が飲酒をしているところに遭遇すると、
パニック発作を起こしていた。

なぜE子は父親が飲酒しているとパニック発作を起こすのか。
私が聴取した限りでは、飲酒の有無にかかわらず、
父親から明らかな虐待は無かったようだ。
また、父親は飲酒すると少ししつこくなる程度で
特に暴力的になるわけでもないようだった。

これらの「よくわからない部分」を理解しなければ、
E子の文脈はわからなかった。

そして、何らかの精神科疾患を患っていて現在の社会機能が低下していることは確かであったが
その診断も正確にはできない状態だった。







E子にとって安全な空間を作ることに専念し、だんだんと治療関係が作られていくにつれ、
E子は話をするようになってきた。

その中でわかってきたことは、E子が中学時代にひどいいじめを
受けていたということだった。
「非行」はその結果として強要されたことだった。

万引きをするように言われ、家から金を持ち出すように言われ、
いじめの恐ろしさからしたがわずにいられなかったのだ。

もちろん、強要されたことは口止めされていたのだで、
警察でも家でも、本当の非行少女のように振舞っていたのだった。


これだけのことをどうして親に打ち明けられなかったのだろうか、ということを
診ていくと、当時の家庭環境がわかった。

E子の「非行」に直面して両親は取り乱しており、
E子を叱りつけることで何とか「更生」させようとしていたのである。
それが、当時のE子から見れば「学校でいじめられ、家でも叱られる」
という体験になってしまった。

E子は完全に孤立し、誰にも助けてもらえないどころか、
非行少女の汚名も着せられ、親からは「こんな子に育てた覚えは無い」と責められる、
という状況に陥ってしまっていたのだ。


高校に進学すると、いじめの加害者たちからは離れることができたのだが、
その頃にはひどいPTSD症状に苦しむようになっていた。
もちろん、勉強になど集中できず、
成績が悪かったのはそのためであった。

不登校になったのは成績が悪かったせいもあるが
それ以上に、人が恐くて外に出られなくなってしまったからである。

誰かが少しでもいじめの加害者に似た雰囲気を感じさせるだけでなく、
パニック発作が起こるようになっていた。

今でも社会参加できないのは、同じ理由によるもので
人が恐いからである。
夜は起きていなければならないような気がして、
完全に昼夜逆転してしまっていることも社会参加を妨げた。

また、父親が飲酒するとパニック発作を起こすのは、E子を叱りつけて「更生」させようとしていた
当時の父親を思い出せるからだ。











E子の診断は、結局のところ、PTSDであったのだ。

すでにいじめから年月が経過し、
治療の場でそれを打ち明けても危険は無い状態であったが、
今までの治療で全くいじめについて打ち明けられなかったのは
深刻な対人不信という症状のためでもあったし、
「今の自分の怠慢をいじめのせいにしている」と思われるのが恐かったこともあった。

それ以上に、「いじめについて語る」というエクスポージャーに耐えられないと言うことが
大きかったようだ。

E子が自らのトラウマ体験を語れるようになったのは、治療関係の中で安心したことが
大きいと思うが、同時に、トラウマを疑っているということをほのめかしたのも効果的だったと思う。

たとえばE子は恐い夢をよく診ると話たので
「何らかのトラウマがあるのではないか」ということを私は言った。

また、
「飲酒している父親を見るとパニック発作を起こす」というところに注目し、
「こうやってスイッチが入ったように症状が出るときは、何かを思い出していることが多い」と言い、
やはりトラウマの存在を示唆した。

こういうやりとりを通して、だんだんとトラウマを打ち明けるハードルが下がったのではないかと思う。

つまり、「この治療者はトラウマというものを知っている。打ち明けても大丈夫かもしれない」
という信頼が育ったのだろう。

聴いてみれば、PTSDの診断を満たすだけの症状はきちんとそろっており、誰も診断に
迷うことがないような症例でもあるにかかわらず、こんなにも長い間「難知性○○」というほかの診断名を
与えられているE子のようなケースは決して珍しくない。




その他、思春期によくみられるものとしては、ピアプレッシャーがある。
本人が望まないことであっても「みんながやっていることだから」と無言の津力によって何らかの行為を促されるという形で現われるし、
友達から誘われて、あるいはほとんど強要されるような形で、問題行動に加担しなければならないときもある。
これはきちんと理解してあげないと、特に真面目で社会的規範意識の高い子の場合、直接自尊心を低下させることになる。


高校生のD個は、仲よしグループの子たちが万引きをしようという話になったとき、普段から自己主張しないタイプだったこともあり、
断ることもできずに行動をともした。
D個は自分自身が万引きしたわけではなかったが、グループの一員として警察につれていかれた。

警察から連絡を受けたD子の母親は動転してD子を引き取りにいったが、警察でD子をみるなり頬を叩き、
「こんな子に育てた覚えはない!」と叫んだ。
その後もことあるごとにD子を疑い、連日のように「また何か万引きしていないでしょがうね」「あなたのこと、まじめだと思って信用していたのが間違っていたわ」
などと言い続けた。
D子が拒食症を発症したのはまもなくのことだった。

D子はもともとまじめで社会規範意識が高い子であった。
同時に他人への気づかいも強いタイプだったので、友達の万引きをとめるようなこともできじ、
行動をともにするしかなかった。

それだけでもD子にとっては十分罪悪感を刺激することだったが、万引きが露見し、警察にまで連れて行かれた時点でD子の罪悪感と恐怖は頂点に達しただろう。

この時点でD子が必要としていたのは、友達に巻き込まれる形で「万引きの現場に居合わせ、それが見つかり警察につれていかれ、犯罪者扱いをされた」
という恐ろしい体験をしたことについての癒しであった。
それがどれほど避けられないことだったのか、どれほど恐ろしいことだったのかという気持ちによく共感してあげたうえで、今後同様の状況に置かれたときにはどのようにしたら良いか、
というスキルを工夫して身に付ければ、D子はこの危機を乗り越えることができただろう。
そしてそんなD子の体験を、最も身近な他者である親が受容してくれれば、なおさら効果的だっただろう。

つまり、D子にとって「万引きの現場に居合わせ、それがみつかり警察につれていかれ、犯罪者扱いされた」という衝撃的な役割の変化の体験であり、
感情を扱うこと、ソーシャルサポートを再構築すること、新たなソーシャルスキルを身に付けること、という通常の「役割の変化」の課題こそが必要だったわけである。


しかし実際に起こったことは、その正反対であった。
母親はD子の罪悪感を煽り続け、それがD子にとってどれほど衝撃的で恐ろしい体験だったかを聴こうともしなかった。
万引きを「D子の問題」としてとらえていた母親は、次に友達から同様の誘いをうけたときにどうするか、
というソーシャルスキルについてD子と話し合うこともしなかった。
したがって、同様の状況に置かれたときにD子はまた同じ目に遭う可能性がある。
なんといっても、この一件を機に、D子と母親の関係はすっかり変質してしまった。

それまでは「まじめだと思って信用していた」という関係性だったものが、毎日のように疑いのめでみる、という関係性になってしまったのである。
これではD子にとって針のむしろのようなものであり、D子が当たり前のように享受していたソーシャルサポートも失われた、ということになる。

















■いじめや虐待を過小評価しない

思春期症例をみていると、過去のいじめについての位置づけは人それぞれだ。
いじめがあったということをすべての基本としている人もいれば、いろいろな困難を語る中で、「まあ小学校の時にいじめを受けていたのですが」とあまり重要ではない付随情報的に語る人、
こちらから聞かない限り話さない人など、さまざまである。

私の経験では、現在進行中のイジメをうけていてそのことを相談に来た人を除けば、後者の数の方が多い。
これはいじめの影響を本当に認識してないこともあれば、触れられたくない話題だからということもある。
いずれも、いじめによるトラウマを考えれば当然のことである。



いじめの被害に遭った人たちは、
「思い出すだけで恐怖」「すでに乗り越えているべきことで、いつまでも引きずるべきではない」「いじめられたということを人に知られると駄目な人間だと思われる」
といった感覚を持っていることが少なくない。
面接の中で、いじめられた当時の事を話すだけで夢など再体験症状が賦活されることはもちろん多い。

また、トラウマについての知識が乏しいと「終わったこと=乗り越えたこと」という誤解をしていることが多い。

逃れられない環境において一定期間続いた対人トラウマが、どれほど骨身にしみる影響を自らに与えたか、気づいていないのだ。

そして、その症状として現われていることすら、「自分が弱い証拠」と考えている。
そしてできるだけ「強く」なりたいので、いじめられた体験を語ることすらしたくないのだ。
いつまでたってもそんなことを言い訳にしてぐずぐずしていると思われたくないからである。

親の中にも、子どもに深刻なダメージが残ったことを認めたがらない人が居る。
不安が強い親に多く見られるが、ようやく終わった過去のひどい体験によって子どもの今後にすら影響が及ぶと言う事実を認めなくないのである。
また、過去のイジメをどう扱ったかということについては、当然親がどう対処したかということが問われてくる。

そこについてとやかく言われることを怖れて、「あれはもう乗り越えたことですから」などという親もいる。
このあたりは、親の心理をよくふまえて対応すべきところである。

いじめというのは理不尽な形で行われるもので、多くの場合、自分がなぜいじめられたのかということは大人になっても本当のところは分からないものである。

そんな中、本人が身につけるのは、とにかく自分を整えて、いじめられる隙を作らないようにする、という生き方である。
この「いじめられる隙を作らない」という目的のためには、完ぺき主義的に「ちゃんとした人」になる場合もあれば、危険の兆候を察知すると引きこもる、
という形をとるばあいもある。
いずれにしても、いじめおいう理不尽な体験をしてしまうと、人間関係のルールがわからなくなるわけであるから、
ルールに沿って必要な対処をするという通常の方法がとれず、とにかくあらゆる危機に備える、というやり方で生きていかざるを得ない。

そのような生き方は、いじめを生き延びてきた本人が自分を守るために身につけた適応スタイルであれ、その状況においては他に選択肢がなかった、ということになる。

しかしもちろん、異常な事態を生き延びるために身に付けた対処法が、より安全で正常な環境に適合するわけではない。


いじめられた人の治療はいじめという体験がどれほどひどいトラウマ体験であるかの共有からはじまる。
そして現在の生きづらさがいじめというトラウマ体験による症状だという事を認識していく。
「自分はいじめられるほどだめな人間なのだ」という認識から、「自分はいじめられた結果トラウマの病になったおり、その症状のために行きづらいし、自分のことをだめだと感じるのだ」
という認識に転じてもらう。
これは大きな前進となる。

いじめという対人トラウマ体験をした人の最も本質的な不信感は、他人ではなく自分自身に向けられているものである。

もちろん自分を苛めた相手や助けてくれなかった他者に対しても不信感は強く持っているのだが、それ以上に
「いじめられるほどだめな人間である自分」「うまく生きられない自分」への不信感が強い。

そんな中、「自分をだめだと感じるのも、トラウマ症状によるものだ」と整理できることは、自分への信頼感を取り戻していくことにつながる。

「自分が完璧にしていなければいじめられる」と、対人関係におけるネガティブな要因に過敏に反応する人に対しては、相手の反応というのは
「こちら側にどれほど非があるか」ということよりも相手側の事情を反映した部分が大きい、ということを理解してもらう。
役に立つ視点は「では相手が多少完璧にできないとして、自分はその相手を苛めるのか」ということである。

患者はほぼ例外なく、「そんなことはしない」と答える。
したがって、自分に多少の非があったとしても「いじめてくる」ということが人間として異常な行動なのだという理解が進んでいく。
そして、「自分が完璧にしていなければ」という発想がどれほど自分を追い詰めてきたか、その考えこそが自分自身をいじめてきたのだ、という構造を理解できると、
違う生き方を模索できるようになってくる。

もちろんこれらのプロセスを身近な人が支えてくれることは計り知れないプラスをもたらす。

こんな治療を積み重ねていくと、唯一の価値観から、より「太い」価値観への成長がみられるようになる。
「いじめられないように自分を整える」という考え方から得られる選択肢は、細い、単一のものであり、常に緊張感を伴うものである。

しかし、治療の中で「いじめる相手側に問題があるのではないか」という視点を身に付けたり、そういう見方を共有してくれるソーシャルサポートを充実させたりしていくと、
より幅広い選択肢を考慮できるようになるのみならず、「何が自分にとって最もよいか」というものの見方をできるようになってくる。
つまり、自分を大切にできるようになってくるということであり、自己肯定感が向上してくるということである。









なぜかというと、第一にいじめられれた体験がある子は、自らが受けたいじめについて語りたがらないからだ。
いじめられるというのは恥ずかしい体験であり、いじめられるだけの「何かよくない点」が自分にあると感じられるものだ。

それに対して「いじめられたあなたにも何か問題があったのでしょうね」などと言われたら、致命的に傷つくだろう。



第二に、いじめられた体験がある子は、いろいろなことを「自分が悪い」と感じるものである。
治療現場における「いじめの構造」の中でも、それをおかしいと感じずに、「やっぱり自分が悪いのだ」と思ってしまう。
この感じ方が「いじめの構造」を悪循環へと陥らせていく。
治療者の言い分に若干の違和感を覚えたとしても、「そんなふうに感じるのは自分がおかしいからだ」と思ってしまい、
治療者に挑んでみようとは思わないものだ。

第三に、いじめられた体験がある子は全般に対人不信が強い。
いじめられた時代、教師などに助けを求めた経験のある子もいる。
しかし、教師がまともにとりあってくれなかったために事態が改善されなかったわけである。

したがって、「自分を助けてくれる大人などいない」という感じ方は強い。
その感じ方は当然、教師と同様の権威にみえる治療者にも適用される。



社会性の無さなどの劣等感があるのは、貴方の価値ではない…

いじめられた体験がすでに明確に認識されているのであれば、今の患者の感じ方はまさにトラウマ症状であり、
経験したことを考えれば当然のものであるが、生きづらさにつながるものであって、ただでさえいじめという理不尽な体験で苦しんだのだから、少しでも早くその後遺症から抜け出せるように治療をしていきましょう、
というアプローチをとることができる。
















■トラウマ患者の


昨今の子のトラウマ体験としては、いじめそして家庭内虐待が多い。
いずれも逃げられない環境で繰り返し行われていること、また、その性質が人間性の否定という要素を多分に持つことから、患者はかなり深刻なダメージを長期に渡って引きずることが多い。

もちろん捕虜収容所や家庭などとは異なり、いじめの舞台となる学校は下校すれば「逃れられる」し、いつでも不登校や転校の自由がある、
という意味では「逃れられる環境」であるかのようにみえる。
しかし、実際にいじめ被害に遭い続け、人生そのものを棒に振るような症状を発展させた患者たちと接していると、それはやはりさまざまな意味で「逃れられなかった」のだということがわかる。
家で虐待されていたあるいは家が完全に機能不全だったということによって、とても「親に打ち明ける」などという選択肢がなかった子。
家庭内に緊張があって、その上自分がトラブルに巻き込まれていることなどが知れたら家庭がもたないという心配から、やはり「親に打ち明ける」などという選択肢がなかった子。

たとえば、これは母親が父親や姑からひどい扱いを受けており、もしも自分がいじめられているなどという情報が知られたら「母親の育て方が悪い」とさらに扱いが悪化するだろうと思われるような環境である。

その他、「ちくったら殺す」など、いじめっ子から直接脅されるために「ちくる」ことが恐ろしくてできなかった子。
いじめられているということがあまりにも恥ずかしくて、打ち明けるくらいなら死んだほうがマシだと思っていた子。

事情はさまざまであるが、いずれもいじめという構造から「逃れられなかった」のだということがわかる。




トラウマを持つ人たちは、さらなるトラウマ体験を招きやすいしトラウマを受けやすい状態になっている、ということは専門家にはよく知られた話である。
したがって、いじめや虐待によってトラウマを受けた人に対しては、その行動の如何を問わず、それ以上傷つけないように、それ以上自分や他人に対する信頼を損なわないように、
身長にかかわる必要がある。
しかし現実に「犯罪者」となってしまうと、さまざまな形で傷つけられ、自己不信や人間不信に陥ることになる。
収監されてしまえば他の犯罪者からもさまざまな仕打ちを受けることになり、中には「いじめ」と呼ぶべき性質のものもある。
これもまた逃れられない環境におけるトラウマ体験の繰り返しになってしまう。

このような患者たちに必要なのは贖罪ではなく治療である。
もちろん、刑法はそのような趣旨となっており、贖罪と治療のどちらが必要なのかを判断するために責任能力が問われないことになる
(しかし実際のところ、多くの加害者に被害者体験がある以上、治療的要素はいずれにしても必要だと私は考えている)。

解離下では、もちろん責任能力はないということになるので、今後、トラウマによる解離症状がより広く認知されるようになれば、
事態はだいぶ改善されてくると思う。いじめや虐待がこれだけ横行している時代だからこそ、もっと主流に位置づけて欲しい症状である。



こういう体験の中で致命的に失われるのは、何と言っても自分自身への信頼である。
自分が解離下、つまり意識のないときに何らかの犯罪行為をしてしまい、気づいたときには犯罪者になっているというのは、あまりにも衝撃的である。
早期からそれが病気の症状であることを知らせてもらえば、また、症状としてのコントロールが可能なる。
つまり、症状は自分でコントロールできないものだと認めて、他者の力を借りることができるのだ。

私の患者でも、買い物は必ず華族と一緒に行く、というルールをきちんと守っている人は多い。
本来はそんな年齢ではないので、当初は抵抗が強いが、病気の症状と人間としての成長は別だという事を理解してもらっている。
これが「医学モデル」を適用すると言うことであり、「病者の役割」を与えるということである。


何も「医学モデル」を適用するなどと大げさなことを言わなくても、店に入れば万引きしてしまうのだから入らなければよいではないか、
などという疑問を呈されることもある。
店に入れば万引きしてしまうのだから入らなければよいではないか、などという疑問を呈されることもある。
これはトラウマ症状の一つの柱である「回避」を理解していない疑問だと思う。

「自分自身が何をしてしまうかわからない」という「恐怖」の中にいる人は、万引きについて思い出すことそのものが恐怖なのである。
したがって、起こったことをじっくりと振り返り、「店に入れば万引きをしてしまうのだから入らなければよい」などと冷静に「傾向と対策」を練ることはできない。
それが回避症状なのである。

この理解は本当の意味で「再販防止」をするのであれば重要である。
「自分自身が何をしてしまうか分からない」というふうに見えている正体不明の恐怖を
「実は過去のいじめとというトラウマ体験によって生じたトラウマ症状としての解離であり、感情的負荷が強く掛かるときに出てくるもの」と理解することで、
恐怖はぐっとやわらぐのである。

すると、回避する必要がなくなり、「傾向と対策」を考えられるようになる。
つまり、感情的負荷がかかりすぎないようにする、解離下の行動には責任が持てないので買い物の際には家族に同伴してもらうようにする、
などという「対策」を練ることができるのである。





―― 取材をおこなっていくなかで、どれくらいの割合で障害を持っている方に出会いましたか?

あきらかに知的障害をもっているような子は、狙って取材しなければ出会わないですよ。
でも、コミュニケーション能力に問題がある子はとても多い。吃音がはげしい子とか、自分の考えを言葉にだせない子とか、
重度の発達障害の傾向がみられる子とか。この傾向は『家のない少年たち』で取材した男の子たちにもあてはまりますね。

彼女らは、一般の性風俗業界からもパージされてしまって、過酷で危険な援デリにまで落ちてきている。
でも、そのように社会に適合できない面をもった子たちをすべて福祉の力で助けるのはむずかしいというか、無理ですよね。
結局、そういう子たちを許容し、フォローしていくことができるような社会をつくっていくことが必要かと思います。これは売春の世界に限らないことですが。


―― お互い孤独な境遇で生きてきたぶん、パートナーと共依存関係になってしまうことも多いのでは?

正直なところ、DVの温床だと思います。女の子たちはまだ若いから、判断能力が低いんですよ
。だから、すごく馬鹿らしい安直なストーリーにはまってしまうことも多い。ホストが「きみとは前世で恋人だったんだよ」といえば、
女の子も「よく考えたら、わたしも前世であなたに会ったことがある気がする」といいだしてしまったりして。

買う側の男性にもそういった女の子たちの弱さにつけ込む奴がいるんですよね。たとえば、「記憶喪失ナンパ」とか。どういうことかというと、
「自分は記憶喪失なんだ」という偽装をして、女の子に話しかける。そうすると、女の子のなかには「このひとを助けなきゃ」と思ってしまう子もいるわけです。
でも、大人の男性が未成年の少女相手にそういうくだらない演技をやっているという時点で、人間として終わってますよ。
不幸な境遇で苦しんできた少女に、そういう最低な大人の姿をみせるのは、本当に残酷なことだと思います。
そういうことは洒落のわかる大人の女相手にやって、勝手に玉砕してくれと思います。

http://blogos.com/article/64679/?axis=&p=3












■トラウマ症状がトラウマ体験を招く


子ども時代の親との関係など、かなりの期間トラウマ体験が
続いていた場合には
それは心身のすみずみにまでしみこむような影響を
及ぼすことになります。

特に、子ども時代は
人を信頼し、人から支えられながら自分の基礎を作っていく時期です。
その時期に信頼を脅かすようなことが続いてしまうと
どのようにして人を信頼したらよいのか分からなくなってしまいますし
「自分の基礎を作っていく」という課題を達成できなくなってしまいます。

どちらも大人になってからの人生を難しくすることになりますし
様々な病気へと繋がっていきます。

実際に、子ども時代に受けたトラウマと大人になってからのトラウマを
比較すると、やはり、子ども時代にトラウマを受けた人の方が
感情コントロールの障害や対人関係の問題が
多く見られることがわかっています。

このような場合には
「対人過敏」が極めて広い領域に
日常的に現れてくることになります

それは、「気づいたらあった」特徴であり
多くの場合、トラウマ症状ではなく「もともとの性格」だと
思われています。
しかし、症状であることにはかわりませんし、
症状として扱わないと
無意識のままトラウマ体験を繰り返していくことになってしまいます。


ー症例

桜さんは中学時代から過食症になり
症状を抱えながら高校を卒業して就職しました。

しかし、どの仕事も長くは続かず、転々としていました。

そのうちに恋人ができ、
一緒に暮らすようになりました。

彼は全体的に優しく暖かい人で桜さんの過食症を受け入れてくれ
「一緒に直していこう」と言ってくれました。

仕事が続かない桜さんを
経済的にも支えてくれました。


ところが、二人の生活は平穏なものにはなりませんでした。
きっかけは、彼の親友でした。
彼の親友は突然やってきますし
なんとなく、彼を好きにはどうしてもなれませんでした。

そして親友も桜さんのことを嫌っていて
彼を盗ろうとしているのではないか?とも思いました。

だから邪魔をしにくるのだと思ったのです。

桜さんは恋人に「あの人を家に来させないでほしい。できればあまり親しくしないでほしい」と言いました。
それに対して恋人は「彼は僕にとって大切な親友なんだよ。僕は君のことをこれだけ大切にしているじゃないか。僕の親友の事も尊重して欲しい」
と言いました。

すると、桜さんは爆発してしまったのです。
それでも、恋人は桜さんの意見を受け入れない。

そして、桜さんは
「つまり、あなたも同類っていうことね。もうあなたとはやっていけない。
 出て行く。出て行かせないのなら死んでやる!」と泣きながら罵りました。

そして、実際に行方不明になったり、自傷行為をしたりするのです。


それからも同様のパターンは続きました。
恋人は桜さんに「君もこれから色々な人と関わっていくためには考え方を治さないといけないよ」などと教え諭しましたが、
そのたびに桜さんは怒り狂ったり、これ見よがしに自傷行為をしたりするのです。
ついには、ある日、たまりかねた恋人は桜さんを殴ってしまいました。





***

桜さんの恋人は
過食症という病気は理解して受け入れてくれましたが
自分の親友を口汚く罵る桜さんにはついていけませんでした。

そして、人間が変わったように恐ろしい顔になって執拗に怒る桜さんを見ると
人間性の問題」「考え方の未熟さ」としか感じられなかったのです。

ですから、
「彼は僕にとって大切な親友なんだよ。僕は君の事を大切にしている。
 だから、僕の親友の事も尊重して欲しい」と説得を試みたり
「いくらなんでも言って良いことと悪いことがあるよ」と注意をしたり
「君もこれから色々な人と関わっていくのは考え方を直さないといけないよ」
と教え諭したりしたのです。


しかし、いずれも効果がないどころか、
さらに事態を悪化させてしまいました。

桜さんのそれらの言動は
実はトラウマ症状でした。


桜さんはDV家庭で育ち
激しいイジメも経験していました。

ひどいいじめに遭ったのに、家庭はそれを相談しようと思える場所ではなく
誰も味方だとは思えないまま、
ここまで生きてきたのです。

そんな彼女にとって恋人は初めて、「味方になってくれるのではないか」と
思えた人でした。

ところが、その関係を乱したのが
恋人の親友でした。
桜さんから見ると、親友にはいくつもの「怪しい点」がありました。

たとえば、突然、やってくることでした。
これは桜さんたちの生活を妨害しているように見えました。
また、桜さんが何かを気にしていると「いいじゃん、そんなこと気にしなくても」と
よく言うこともきになっていました。

桜さんの感じ方を尊重しないで自分の意見を押し付けてくるように
感じられたのです。

その他、喫煙者である彼は
しばしばタバコに火をつけようとしてから
「そうか、ここはタバコをすえないところだったんだ」と
笑いながら言うのですが
桜さんは融通の利かない自分をその都度責められているかのように
感じました。

これらの「怪しい点」は、いずれも桜さんの
「脅威のセンサー」に引っかかりました。

自分を彼の恋人として認めていないのではないか
彼と自分を別れさせようとしているのではないか、
と思ったのです。
そして、その脅威を排除しようとして
恋人に「あの人を家に来させないで欲しい。できればあまり親しくしないで欲しい」と言ったのです。

ところが、それがトラウマ症状とは知らなかった恋人は
桜さんの考え方を変えさせようとしました。

これは桜さんから見れば、恐怖の体験となりました。
まるで、自分の目の前に殺人者がいて「殺される」と必死で訴えているのに
助けてくれないばかりか
考え方を変えて相手と仲良くするようにと強要されているようなものです。

本人にとってはそれほど切迫している状況であるにも関わらず
周りは悠長に「考え方の問題」などとピントのはずれたことを
言っているのですから、その捉え方には明らかにずれがあり、
本人の切迫感はますます膨張していくのです。

この切迫感がその後の爆発に繋がっていきます。

そこで表現されているのは怒りであり相手への攻撃ですが
桜さんにとっては恐怖から来る必死の「正当防衛」なのです。

桜さんが訴えているのは
「だいたいあの男は人間としてのたちが悪すぎる。礼儀もなっていない。
 心の中では腹黒いことを考えているに違いない。あなたは騙されているんだ」という
めちゃくちゃな人格攻撃ですが
こういうときの「罵倒」の内容を聞くと
あまりにも一方的だったり筋が通っていなかったりすることが多いものです。

少なくとも、
聴くと深いな気分になる様なものがほとんどです。

しかし、それは当然の事で、
「意図された攻撃」ではなく突然の事態に動揺する中での自己防衛なのですから
「相手がどう思うか」などということは全くお構い無しになるのです。
とにかくやみくもに攻撃して身を守っている、というイメージに近いものです。

そのようなやみくもな自己防衛に対して彼は
「いくらなんでも言って良いことと悪いことがある」と
たしなめています。
桜さんの発言が「意図された攻撃」であればそのようにたしなめることにも
意味があるのかもしれませんが
やみくもな自己防衛なのですから、
何の意味もないということになります。

そして彼がそうしてたしなめることは
桜さんからすれば「彼は敵側に加担した」としか感じられず
ますます恐ろしくなり爆発する、ということになります。


こうしてトラウマ症状として振り返ってみると
桜さんのめちゃくちゃな言動もかなりの程度理解可能な話になってきます。

つまり、桜さんは彼の親友や彼を責めているわけではなく
恐怖から自分を守ろうとして必死なだけだと言うことです。

ところが、そういう理解無くこの状況を見てしまうと
桜さんが口汚く自分や自分の親友のことを罵っており、
それが全くコントロール不能という状況なのです。

彼がついに追い詰められて暴力を振るってしまったのは
心情的には理解できます。


こうして、桜さんは初めて「味方になってくれるのではないか」と思えた
優しい恋人から殴られる、という事態に至ってしまいました。
つまり、新たなトラウマ体験を招いてしまったのです。

もちろんそのできごとの後には
恋人の事も怖く感じるようになってしまい、
「あなたのように暴力的な人とはやっていけない」と
恋人の家を出てしまいました。

恋人は自分が感情的になってやってしまったことを
心から反省していたのですが
暴力を振るってしまったという負い目から
桜さんを引き止めることができませんでしたし
親友と桜さんの板ばさみで苦しんでいたこともあり
実際のところ引き止めることに積極的になれませんでした。


このように、トラウマ症状が相手を怒らせて新たなトラウマ体験を引き起こすということは
珍しくありません。
本来は二度と危険な目に遭わないように
という目的を持ったしょうじょうであったはずが
かえって危険を招いてしまうのです。

また、桜さんの場合、危険を招いただけでなく
長い目で見れば自分のトラウマを癒すことに繋がるであろう貴重な相手を
遠ざけることにもなってしまいました。

桜さん自身、自分の感じ方や言動がトラウマ症状だと言うことには
気づいていません。
「いくらなんでも言ってよいことと悪いことがある」と言う彼に
反発を感じると同時に、そんな暴言を吐いてしまう自分は
DVだった父親の遺伝を受けているのではないか、と考え、
自分の全てが間違っているような気持ちになることも
しばしばでした。

そして、もう死ぬしかないと思いつめるのです。

トラウマ症状が次のトラウマ体験に繋がる、というのは
相手の怒りを誘発することによってだけではありません。

















E子(21歳)は小学生の時に両親が離婚し母親側に引き取られた。
風俗嬢だった。パニック障害的な感じで電車にいつ乗れなくなるか分からないので遅刻が多く、罰金でドレス代やメイク代がかかって時給ほどには稼げていないらしい。
母親に「身体売ってこい」と言われたのは10代に入っていただろうか?
いつもギリギリの生活をしていたので「貯金の仕方が分からない」という。有り金全て使う生活が続いていた。貯金は誰しも大人になる過程で身につくものだと思いがちだが、
親による教育あるいは言葉にはせずとも態度で示す場合もあるだろう。



重度のトラウマPTSDの範疇を完全に超えており、彼女に安定的で温かい人間関係を取り戻させることはかなり難しいだろう。






参考文献:


(思春期の意味に向き合う 水島広子 岩崎学術出版社


対人関係療法でなおす トラウマ・PTSD 水島 広子 創元社

(トラウマの現実に向き合う ジャッジメントを手放すということ 水島広子 岩崎学術出版社