共感不足とコミュニケーション不全(≒対人恐怖)

◇共感を与える=あなたは正しい

子どもの心は共感で育つ。
子どもの中にある正解を共感してもらえないと子どもは「私は間違っている、私は悪い子だ、わかってくれない」などの心の傷を負ってしまいその傷は大人になってもコミュニケーションの不具合として人生の質に影響を及ぼしてしまう。




共感を与えてもらえなかった心の病者だからこそ、共感の大切さを学びACの連鎖は、僕達の代で断ち切りましょう。






















ーー共感的雰囲気を子守唄のように求めるB子さん


B子さんは40代前半の、おしゃれで身だしなみのよい女性である。
主訴は心気症。若い頃に一度結婚しているが、夫の実家との折り合いが悪く、すぐに離婚して実家に戻ってきたと言う。

B子さんの話す内容は、身体の不調についての心配が専らで、ようやくそれがおさまったかと思うと、身近な人間関係についての愚痴が延々と繰り返されるだけであった。

セラピストは熱心に聴いていたが、あまりに進展がないので「B子さんの側にもそれなりに自分のあり方を振り返って見直すほうがよいのでは?」と
感じずにはいらなかった。

あるとき、そのことを正面から伝えるとB子さんは言った。
「私がカウンセリングに通っているのは、せめてここでは私を否定せずに、”そうねそうね、あなたの気持ちは分かるわと何でも相槌をうって欲しいからです!
 私が欲しいのはそれだけです。それがないと毎日の生活で私は耐え切れないからこそ、ここへきているのです。
 ここに着てまで批判的な言葉なんか聴きたくありません!」


B子さんの言葉を聴いてセラピストは、「B子さんの内面は脆く支えが必要なんだ」という思いと「B子さんの望む反応をするロボットにならなければならないのか」という疑問も持った。


B子さんとの面接の仲でセラピストが次第に感じていったのは「B子さんは現状を打開しようとは望んでいないのではないか」ということだった。
自分の現状を何とか変えたいと望む気持ちがあってこそ、堂々めぐりや停滞を打開するための「解釈」を受け入れたり、
みずから求めたりするわけである。

自分の現状は代わらないと思い定めて、その時間を耐えていくために心を慰める「子守唄」のみを求めるとなれば、耳障りな「解釈」など聴きたくも無いだろう。

40代になっても実家に同居し経済的にも支えられているB子さんは恵まれた立場なのだろう。
きっと親に甘やかされて育った。

たしかに形の上ではその通りなのだが、子ども時代、娘時代のB子さんは、「いつも親に気を使っていた」という。

父親はワンマンで、家庭をかえりみることが少なく、「養われている妻子が文句を言うはずがない」と決め付けているような男性であった。

そんな父親に心が満たされることなく、しかも表向きは、「善き妻」として夫にあわせてきた母親は、
その鬱憤のはけ口をB子さんに求め、ときには叱り飛ばすとかと思うと愚痴を聴かせ役にし、買い物のお供をさせるのが常であった。

お供をすれば、高価な洋服のひとつも買ってもらえる反面、B子さん自身が選んできたものは決して誉めたことのない母親であった。
B子さんがやってみたいということも、ます「どうせ失敗するのではないか」とか「お父さんに知られたら困る」との理由で常にひきとめようとする母親でもあった。

そのうちB子さんは、母親にあてがわれたもの以外は、自分から手を出さない性格の娘になっていったという。


ちょっとした悩み事を母親に相談した場合も、ありのままの気持ちを汲み取ってもらえないどころか、どういうわけかすぐに父親に筒抜けになっており、
見当ちがいの叱責や助言がとんでくるのが落ちであった。


「あんなに父のことを愚痴っている母が、なぜ私のささやかな相談事をすぐに父にご注進するの、本当に口惜しい思いがしました。
 それを母に言っても、ちっともわかってくれようとしませんでした。
 私の話をしみじみと聴いて、わかってくれたような気がするのは犬のトムだけでした。 
 大型犬で、犬小屋も大きかったので、私はそこへもぐりこんでトムに慰めてもらっていたのです。
 犬だからどういう風にわかってくれていたのかはなんともいえませんが、じっと私の顔をみてクーンクーンとなげき、
 時には泣いている私の顔をペロっとなめてくれました。
 そんなとき、母も父もわかってくれないことを、トムだけはわかってくれているよ確かに感じました。」


ちなみに、B子さんの「風景構成法」では、人物はすべて棒人間で、犬だけが立体的にしっかりと大きく描かれていました。


セラピストは、B子さんはもっと主体性を持てば、自分の人生を新しく切り開いていけるはずだと考えていた。
いつまでも親元にとどまっている必要はあるまい。
自分自身の生きがいを見出せば、身体症状や人間関係にこだわりつづけることもなくなるのではないか。

何とか彼女のそういう前向きの姿勢をとってもらいたいと思うのだが、彼女にはそうできない何かがあるのだろう。


それはおそらく、幼い頃、親から適切な共感的反応を得られなかったことに由来する「満たされなさ」にかかわりがあるのではないか。
満腹感を味わった子どもは、さっさと食卓のもとから離れていくのに、満腹感を味わえなかった子は、いつまでも食卓のまわりでグズグズしているようなものであろうか。


B子さんがセラピストに求めていたのは「トムのような母親」の役どころだろう。
セラピストは人間であるため、トムのように純粋にはなれず「至福のひととき」を共有することはまず無理であろう。
しかし、できるだけそれに近づく努力が必要であろうと考えられた。

セラピストがB子さんとの関係を良くするためには「私の思いが及ばないところに彼女の実情はあるのかもしれない」という姿勢だろう。


B子さんの生活には大きな変化はない。
ただ趣味に打ち込み、以前よりは苦痛が少なくなり、生活に楽しみを見出すことが上手になったといえるかもしれない。
主婦でもなくキャリアウーマンでもないが、自分というものにそれなりの「こだわり」を持ってしまった女性たちが、
この時代の過渡期を同生きるのかは一つの社会的なテーマでもあろう


彼女達は、幼い頃、親からの共感的応答を求めて得られなかったことで、決して満たされて安定することのない「傷つき易い心」を
抱えていきているといえよう。それをかかえながら、表面的にはしっかりと取り繕い、それなりの矜持をもってやってきたといえる。
しかし、ある時点で息切れを起こしたからこそ、心理療法の場を訪れることになったり、
自分の満たされなさを言語化することになったわけである。


子どもは、親との心の触れあいをあくなく求め続けているのである。

(共感と解釈 成田善弘 人文書院























■共感を返してもらって自分は形成されていくから…

ここまで読み進めてきて「親から見捨てられた体験」と言われてもピンとこなかったという方が多いかもしれません。

親から充分に「共感」されて育ってきたかと問われても、それがどういうことか分からないと言う方もいらっしゃるでしょう。

では、あなたは、自分の考えや主張を親から認めてもらってきたかと問われたらどうでしょうか。

あなたはそのときそのときの気持ちや感情を親から「あなたはそう思っているんだね」「そう感じているんだね」と認めてきてもらったでしょうか。
むしろ、「分かってもらえない」「言ってもムダ」と思ってきたのではないでしょうか?



実のところ、家庭で暴力があるなしに関わらず、
実に多くのACの人が親から共感されずに育ってきているのです。


人は共感されないと腹が立ってくるものなのです。
共感されることなく育ってきた人が
やり場のない怒りやイライラを抱えていたとしてもそれは何の不思議もないのです。

子どもは誰でもそうですが、思ったことを、感じたことをそのまま表現します。
遠慮もしなければ、お世辞も言いません。

「ママ、ママ、あのね」と何かを話そうと思って母親に話しかけます。
「見て!見て!」と、自分の素晴らしい発見を周囲の大人に伝えようとします。

自己評価、自己肯定感を育てられなかった人たちとは、こういうときに「忙しいからあっちに行って!」「うるさいわね!」と言われてきた人たちです。


さらには「そんなことで喜んじゃって」「そんなこと、大したことないよ」と言われてきました。
また、多くの親は怖いといって泣いている子どもに共感するどころか、「怖くない、怖くない。そんなに泣くようなことじゃないでしょ」と、
その素直な感情を否定してしまいます。

何かが上手くいかなかったり、気に入らなかったりして、癇癪を起こしている子どもの腹立たしさや口惜しさに寄り添うのではなく、「うるさい、黙れ」と叱責します。

友達同士や兄弟姉妹の間でケンカが起きたときにも、「そんなことぐらいで騒ぐことないのに」と、根拠なくよしの子どもや年下の子どもをかばいます。
年上の子どもや我が子の感情はいとも簡単に無視されてしまうのです。


衣食住に困ることがない。
いつも美味しいご飯やおやつが用意されている。

申し分のない養育環境を整えてくれていても
心理的には誰からも寄り添ってもらえなかった。
いつも1人ぼっちだった。味方がいなかった。


それが当たり前だったから、寂しいとも思わなかった…。
というよりも、
自分が寂しいと感じていることさえ分からなかったし
寂しいということの意味さえわからなかった。

幼少期の虐待、暴力がなかったとしても
そこには見も凍るような無関心があります。
ACとは、この親の無関心によって自己肯定感を育てられなかった人たちなのです。
そのために、ACは自分を価値あるものとする自己評価が大変低くなっています。

自分に価値がないと思えば人と接することが苦手になって当然です。
そのような自己評価の土壌に、恐怖体験が加われば、人が怖くなって当たり前です。


「人が怖い」という思いの背景には、こうした明確な根拠があるのです。

そして、その「怖さ」の根底には、共感されなかったという傷つき体験が潜んでいます。

さらに、最も深いところにあるのが、人生の初期に母親との愛着関係が結べなかったことからくる傷と悲しみです。

母親に受け入れてもらえなかったという怒りです。

その傷に対して癒しを進めていかなければ、対人恐怖は軽減していきません。

親に共感してもらえなかった怒りや親を信頼することができなければ
悲しみは増していく。対人恐怖、というか人間が嫌いになる。
最も嫌いなのは自分。

何よりも明らかなことは「人が怖い」というあなたは、それほど深く傷ついてきた人だという事です。

(あなたの一番になりたくて ACと対人恐怖   外川智子 現代書林)






G子は、うつ病になって最初に治療を受けた治療者から
「この程度でうつ病になってしまうのだったら、子ども相手の仕事はもう無理じゃないですか?」
といわれたのだ。

「生きていればイロイロとつらいことがある。
 でも、みんなそれを乗り越えて社会適応している。
 保護者からクレームがついたくらいでうつ病になっていたら
 とても仕事が続かないでしょう。
 保育士がころころ変わることは、子どもの愛着を形成する上でも問題がある。」

とまで言われた。

うつ病になって職場を休んでいることに自責の念を持っていたG子にとって
治療者の発言は、深い傷となった。

それからは、復職しようとする度に
「またすぐに病気になって続かなかったら子どもに悪影響を与える」と思うと
恐くて復職できなかったのだ。


その治療者の言い分は
それ自体が大変不適切であるが
G子の文脈においてはさらにトラウマ的な意味を持つことが分かった。

G子の生育歴をよくよくきいていくと、
G子が「普通の両親」と読んだ人達は決して普通ではなかった。

父親は、「子どもは甘やかすとつけあがる」が口癖で、G子と殆ど情緒的交流を持たず
G子をほめることもなかった。
高校受験時にG子がかなり努力して志望校に合格したときも
「こんな学校は合格して当たり前だ」と言い放っただけだ。


母親は過干渉なタイプで
G子の言動の一つ一つに文句を言っていた。

「あなたは努力が足りない」が口癖で、
何を言っても「それはあなたの努力が足りないからよ」という答えしか
返ってこなかった。

このような両親に育てられたことを知ってみれば、
G子が保護者や同僚に厳しい目を向けていたことも理解できる。
つまり、G子自身がそういう厳しい価値観で育てられていたのだ。

明らかな被虐待体験というものはなかったかもしれないが
小さなG子がほめてもらいたいと思う気持ちが
一つひとつ挫かれてきたのだと思う。

そんな体験が積み重ねられた結果、他人の「努力の足りなさ」に対して
狭量になってしまったのも当然だろう。

そして、その狭量さはもちろんG子自身にも向けられており、
G子は自分が職場ストレスでうつ病になってしまったという事実に混乱していた。

両親に話せば「努力が足りない」と言われるに違いないことであり、
自分でもそう思っていた。

G子は実は、うつ病になったことを両親に隠しており、
仕事をやめたことをどう説明したら良いのか悩んでいた。

治療の中では「医学モデル」を適用することで、不要な罪悪感を減じ、
両親の理解を求めていく必要があるのだが、
実際の治療者がやったことは、その正反対の事だった。

「この程度のことで」と、うつ病になったG子が悪いかのような言い方をしたことは
G子に突き刺さり、トラウマ体験となってしまった。

(トラウマの現実に向き合う ジャッジメントを手放すということ 水島広子 岩崎学術出版社






あなたの一番になりたくて ―AC(アダルトチルドレン)と対人恐怖

あなたの一番になりたくて ―AC(アダルトチルドレン)と対人恐怖