愛渇〜愛は必要な人にほど、届かない〜



愛が欲しいと思っている人ほど愛は届かない。
愛されたいと強く思うほどに愛が枯渇している人にほど愛は届かない。









■「わがまま」は愛を知っているかいないかで全く意味が違ってくる。


愛を知っている子は大人どこまで自分を愛してくれるかを試す。
虐待された子はどこで大人が怒るかを試そうとする。






■愛されたことが無い人にほど愛は届かない皮肉


愛されない自分に安心感を抱いている。
不安定に安定してしまう。


愛される存在である自信が無いから「やっぱり私は愛されないんだ、思ったとおりだ」ってなる。


「愛される価値のある存在なのだ」と言う自信(愛を持っている人)がなければ、
たとえどれだけの愛を与えられようとも「私に愛を与えて騙そうとしているんだな」と思ってしまうこともあるし、何よりも
愛が目の前を通り過ぎたとしてもそれが愛だと判別することができずに、藍じゃないものを愛と勘違いして受け取ってしまうかもしれない。




愛されない存在なんて本当はいないんだけど、大人側の「愛せない理由」を子どもが「自分が愛される価値がないから」という風に受け止めてしまって、その受け止め方は自己肯定感の根底彼の欠損を生んでしまう。

この”大人側の怠惰”とも言える(と言っても、大人側にも愛することが出来ないそれなりの理由があるので誰のせいでもないとも言えなくもないんだけど)勘違いによって子供が一生、愛を得られない。
この齟齬をどうにかしたいし、どうにかできる社会であって欲しいと思っている。














3.苦しみをもたらす「隠れた動機」に気づこう

■なぜ、恐れている事態を招くのか?

わたしたちは、自分でもはっきりと意識できない「無意識の動機」からも行動を起こしているのです。
それこそが、つらい勘定を引き起こす原因になっていることがあります。

次に紹介するさおりさんは、その一人です。



さおりさん(24歳)は清楚で上品な感じの女性です。
さおりさんは、恋愛がうまくいかない、という悩みを抱えていました。

「渡して、根っこからのわがままで、自分でも嫌になるんです」というさおりさん。
話を聴いていくと、男性との付き合いが深まり、だんだん親密になってくると、すごくわがままな自分が出てきちゃうんです、とのこと。


お付き合いはじめたころは。わままの程度も、ありと軽いものでした。
たとえば彼がそれほど好きではないレストランでも、彼女がそこで食べたいという理由で、その店にしてもらったり、
終電が終わっても「もうちょっと一緒に飲もう」と引き止めて、彼にタクシー代を出してもらったりしていました。

しかし、彼女の要求はそのうちにエスカレートしていったのです。

たとえば、仕事で疲れている彼に夜中に電話して「寂しいから今から来て」と求めたり、とても高価なコートをクリスマスプレゼントにねだったり、
有給休暇をとってディズニーランドに一緒に行くように求める…など。

そのためケンカが多くなり最近、ついにフラれてしまったのです。

女友達に話すと「さおりの気持ちはわかるけど、やりすぎだわ」と言われてしまいます。

さおりさんは自分でもそうだと思うのですが、なぜかわがままを言って愛想を付かされるパターンを繰り返してしまうのだそうです。





■要求心の正体は?

さおりさんは、カウンセリングで定期的に会っていくうちに、セッションの終了時間に毎回きっちり終わることに不満に感じるようになりました。
「事務的だ」というのです。
またある日は、彼女が風邪を引いて遠出するのは負担なので、家の近所でカウンセリングしてほしいという気持ちも生じてきました。
もしそれを求めても私が断るだろうと思うと、腹が立ってきたと言います。

さおりさんの「もっと、もっと」と要求がエスカレートする心の動きは、まさに過去の恋人たちに対して起きたものと同じでした。

そこで彼女のその思いがわきだす原因について一緒に探求していたところ、だんだん次のようなことがわかってきました。







■「悪い私でも、見捨てないで欲しい!」

さおりさんのこころには、「たとえわがままな悪い私でも、見捨てず愛して欲しい」というたいへん強い思いがありました。
さおりさんはカウンセリングを受ける前から、そのことにうすうす気づいていましたが、
カウンセリングで話し合うなかで、心の底にあった「わたしは悪い子だから愛してもらえないんじゃないか」という深い怯えがあることに気づきました。

その怯えは、両親の言いつけを守らなかったときに、ひどく叱られた経験を繰り返して作られたのでした。

彼女の心には、「わがままな悪いわたしでも見捨てないでほしい!」と叫ぶ傷ついた幼い女の子がいたのです。
その女の子は彼氏の愛を試そうとして、わがままを言う「悪い私」になったり、相手を傷つけるようなことを言ったりしてしまいました。

もし彼氏が寛容になってわがままに耐えると、さらなる要求をします。
そのとき、さおりさんは、心の奥で、「じゃあ、もっと悪いこんな私でも愛してくれる?」と試しているのです。

もちろん、自分自身がそんなことを思っているとは気づいていませんでした。
そして、彼氏がそのテストに耐えられたら、さらに負担の程度を増して「じゃあ、もっともっと悪いこんな私でも、あなたは見捨てない?」というテストを繰り返していたのです。

しかし、いつか彼氏も耐えられなくなり、別れを切り出します。
このとき、「ほら、やっぱり、私が悪い子だから愛してもらえないんだ」と、もとの信念の正しさを確認すると言う悲劇を繰り返していたのでした。

なぜ彼氏に過大な要求をしてしまうのか。
カウンセリングを続けていくうちに、その「隠れた動機」に気づきました。
そして、「わがままを言う私でも愛して欲しい」と求める心の痛みを止めるイメージワークを行うことによって、
徐徐に癒されていきました。

(「怒り」「さびしさ」「悲しみ」は捨てられる! 古宮昇 すばる舎