何の落ち度もないのに棲みついてしまう罪悪感への対処

頭の中に、自分を責める化け物みたいなもんが出来ちゃってんだと思う

(あのひとは蜘蛛を潰せない 彩瀬まる 新潮社)










人間って基本的に「私は悪くない」って思い込むようにプログラムされているように思う。

「あいつが悪い」「社会が悪い」っていう自己責任発現ばかりしている人は嫌われるかもしれないけれどある意味とても健全な状態だと思う。そんな人で社会は溢れているし(笑)

そういう中にあって全ての悪いことに関して自己関連付けして「私が悪い」と思っちゃう精神性はやっぱりいきづらいと思うのでカウンセリング鳴りが必要だと思っていて、しっかりと向き合えば「私が悪いわけではない」と思って、そういう「よく分からない罪悪感」と決別した人生を送れると思う。

しいて犯人がいるとすればそれは「お前が悪い」という罪悪感を無力な子どもに押し付けることで心のバランスを取ってきた大人の存在。

が、しかし、たいていの大人たちは罪悪感を植えつけようと思って罪悪感を子どもに刷り込ませているわけではない。
ゆえに厄介な事象なのであると思う。






■ごめんなさいが多いのは病気

人間がごめんなさいを感じたらろくなことは無い。
これが多すぎるのは病気。
人間は、ごめんなさいを感じないように心が出来ています。

精神医学的に見えれば、人間に罪悪感を植え込んで良いことなんて
何一つありません。

しかもたいがいの罪悪感は「非合理な罪悪感」になります。

たとえば
「私なんていうものが、この世に生まれてこなければよかった。
 私が生きているために家族に迷惑がかかる」
もっと進めば
「私のいる事が世間に迷惑をかける」と広がっていく。


■根拠なき罪悪感

誤解がある。
何か悪いことをしたので罪悪感が生まれると考えられているが逆だ。
人は根拠もなしに罪悪感を抱き、
その大きさに見合った犯罪をやってのける。

だから、驚くほど無個性な行為になる。

人は自分に課せられた役割なるものを勝手に読み取ろうとする。
ここから根拠の無い罪悪感が生まれる。
子どもの立ちは親の期待を読み取り、
その読み取りが勝ってであることを理解しようとしない。
そして、親の期待、という幻想が生み出した罪悪感にさいなまれる。
そして、「親の期待が重すぎた」とうらむ。

何を間違えたか、
自意識過剰な子どもが「普通」であってはならないと勘違いし、
普通であるくらいなら狂気でいようとさえ考えるのだ。

(家族パラドックス 斉藤学 中央法規)